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節分で「鬼は人の心」にあるのかなと思うジジです。

みなさん、こんばんわ。ジジババのジジです。
お読みいただきありがとうございます。

■久しぶりのババと二人だけの節分

昨年は長男の家族がおりましたので、わいわいがやがやと節分を過ごしましたが、今年はババと二人だけ。
しーんとした、静寂の中で、物言わず恵方巻をほおばったり、外で豆をまきました。
昨年の豪華恵方巻きと違い、今年は、還暦間近の二人だけなので、アナゴは奮発するとして、普通の巻きずしです。
別にしょぼい訳では、なくて、年齢を考えると、このサイズが適量。
それから、色々なネタを巻いて、趣向を凝らしていますが、やっぱりスタンダードが一番安心。
今年は、東北東との事なので、確認をして、静かに完食致しました。

■豆も小分けパック。これなら、衛生的

屋外は、中身を出して、まかないと後で、ジジが拾いに行かされることになりますから、開封するとして、屋内の場合、家に猫がいる事もあって、室内と言っても、やっぱり床の豆をそのまま口に入れるのは、聊か抵抗があります。
そこで、今回は、小分け袋を室内ではまきました。
聊か、バラまき感に乏しいため、白けた感じは否めませんが、きっちりと回収。そして、衛生的に食べる事が出来ました。
以前だったら、数か月後に何粒か発見される事もありましたが、その心配もありません。
やっぱり、家は綺麗にしておきたいですからね。

■毎年、屋外で標的になる鬼の面を見て、ちょっぴり考えるジジです。

鬼って、そもそも、人間の空想の世界で出来上がったものですよね。
昔々、そういう人とも獣とも言えないような生き物がいたように、おとぎ話では書いてありますが、やっぱり、人間の心の闇の部分ではと思うジジです。

■そもそも、人間ってそういう生き物

厚労省のみっともない状態にしてもそうだけど、結局人間の本質はみんな自分が可愛いということでしょうね。従って、心の闇は誰でも持っているし、持っていなきゃあ、AIと同じということになるのでしょうね。
古来の日本人が鬼を何からイメージしたのか、ジジにも分かりませんが、その何というか、恐怖だけでなく、何か刹那的な気持ちで作られたものかも知れませんね。

■私たちは、一人一人の感情の中で生かされている。

ジジもババもまもなく、還暦ですが、長い事生きていると、常にみんなに支えられて生きている事を意識します。
上記のように、様々な人達と一緒に過ごしていますが、時には鬼のように自分の感情を優先してこられる人たちとも、うまく、お付き合いができるくらいになりました。
相手の長短両方を理解して敬うと必ず自分たちに返ってくる事を信じて、まじめに過ごす事を改めて決意したジジババです。
今日は、つたない文章になりましたが、ご容赦下さい。
先日の「七つの会議」の影響でしょうかね?(笑)

■ジジの独り言

あるテレビドラマで相手の意識や心、そして振る舞いがどんなに変わろうとも、それらにちゃんと立ち向かえる(変わらず)人間が一番強いと言われていました。
中々、理想通りには行かない事が多いけど、最後に信用できる人間は、そういう人たちの事だろうなと思ったジジです。

おしまい。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。

    
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