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「大腿骨骨折」のジジの母親、2週間でもう退院 家族の判断にゆだねられる高齢者の治療どこまで?

みなさん、こんばんは。ジジババのジジです。
お読みいただきありがとうございます。

今日夕方に突然、母親が入院している病院から来院要請の電話がありました。
11/15に施設内で尻もちをついてしまい、大腿骨を骨折してしまった母親。
負傷して入院時に受けた術前検査の心エコーの状態(数値)が劣悪の為、手術困難で温存に向けて入院中の母親なのですが、夕方の突然の担当医からの来院要請とあって、なにごとかと思いジジババこぞって、10分の緊急移動を経て、病院に到着しました。

家族の判断にゆだねられる高齢者の治療どこまで?

病院に着くと、母の緊急な容態の変化と言う訳ではなく、今現在の母の様子と入院中に受けた検査などのいわゆる病状説明でありました。それと今後のこと。
担当医の説明によると・・・

■容態に変化はなし、整形外科の判断では「手術は可?」
担当医の整形外科医による説明によれば、この入院期間の母親の当該負傷部分の手術に限定して体力を鑑みた場合、手術はできないことはない。
でも、循環器内科での検査で「拡張型心筋症」であることが判明し、やはり手術を行うのは高リスクではないかとの事。手術ができたとしても後遺症があったり、寝たきり、最悪は死に至る場合も起り得るかもしれないんだとか。
これを受け担当医の整形外科医は、人工骨置き換え手術に対しては「可もなく不可もなく」と言うことで、結論、手術するかしないかは家族の判断にゆだねるとの事でありました。

■ジジの判断は「現状のまま、温存」
手術しないで保存だと痛みが取れにくく、手術しないまま施設に戻ると寝たきりになってしまう可能性もあるとおもいます。
けれど、今までの母の施設での生活ぶりを考えると、手術をして多少でも立ち上りが出来るようになり、夜間も寝ないとなると、また同じような骨折が何度も繰り返されるように思います。
また、術後のケアやリハビリなどを考えると、自立的な治療が全く受け入れられない母親は、ずっと今まで受けた手術後そうだったように手術をしてくださった担当医の前で「手術しなければよかった」と口にするとも思います。「こんなはずじゃなかった」と。
0か100なんですね。手術をしたら健康時のように元通りになるになると思っているので、リハビリもせず、自分が思ってたとおりにならなかったことに不満を口にしてしまうのです。

短時間の間にいろんな思いが交差しました。手術するべきか手術しないべきか。

迷った結果、本来ならば手術に踏み切るべきなのでしょうが、最悪は死に至るということであれば、無理をして手術をすると言う判断はジジでも出来ず、術後のリハビリや感染、脱臼、血栓症などのリスクも合わせて考えて、入院時の選択と同じように「現状のまま、温存」を選択致しました。
今、母に必要なのは近代的な治療よりも、歩行困難でも安全でゆっくり穏やかに静養できる環境。悔しいけれど、母親の体力や性格を考慮しての判断に至りました。

■早々に退院の要請受け
手術をしないとなると、ある程度容態が安定しているので退院とのこと。
もちろん無理をしてまでの早めな退院と言うことではなくて、適切な最大・最長の治療期間を経ての退院です。また、市民病院なので、満床ということ事情もあり、次の人の為に空けて欲しいとのこと。

ジジがその場で施設へ連絡をとり、休日明けにも施設の準備が整い次第の退院となり、退院時の送迎もしていただけることになりました。

手術をした場合は2か月、手術をしなくても3週間の入院と聞いていましたので、まさかこんなに早い退院になるとは思ってもいませんでしたが、片言で話す母親の言葉を何とか解釈すると、やつぱり施設の方がいいとの感じでした。
いまだになぜ自分が入院しているのか理解できていない状況は継続していましたが。

■母の現在・・・なんとも言えない思い
11/15に大腿骨骨折のケガをしてから、11/28ので退院なので、約2週間の入院。
入院中の治療は主に痛み止めによる痛みのコントロール。
初日以外は点滴もしていないようなので、飲み薬が大半みたいでした。

11/16(大腿骨骨折の翌日)には、もうベッドを起こしてもらって、面会に行ったジジババをちらりと見ただけで気にも留めることなく、自分で夕ご飯をムシャムシャ食べ続けている様子を見て、ジジババは痛くはないの?って言う驚きと共に、実際は体力不足による手術困難な状態なはずなのにと、食に夢中になっている母親の見た目と実体のギャップにちょっぴり情けなくなってしまいました。

その翌日、ババに様子見に行って貰った時は4人部屋に移されていたけれど、夜間大きな声を出したり泣いたりするなど他の人に迷惑になるからとのことで、その翌々日には看護師さんの目が届くナースステーション隣のリカバリー室へ移動しての入院生活となってしまっていました。
やっぱり、手術をしないために痛みが続いてるせいなのかなとジジは胸が痛みました。

でもその翌日、ジジババ共に面会に行った際に看護師さんに話を聞いてみると、大腿骨骨折の痛みはコントロールできているようで痛みを訴えることはなくて、それよりも寂しいから、話を聞いてほしいからと大きな声で看護師さんを呼んでいるのだとか。

それを聞いて、なんて言ったらいいのかな、ジジは何とも言い表せない思い。
認知症の母親の脈絡のつながらない話や同じことの繰り返しの話に丁寧に耳を傾けてくれる看護師の方々には本当に頭が下がります。

帰りにジジババがエレベータを待ってると、ホールまでにも聞こえてきた母親の声が耳に残ります。
「看護師さーん、看護師さーん!」

高齢者の治療どこまで必要なんだろうか

いろいろと母の病状と現在の状況について書きましたが、今回大腿骨骨折の手術でリスクがあっても手術するべきか否かの判断を担当の医師から委ねられて、高齢者の治療ってどこまで必要なんだろうとも考えさせられる案件でもありました。

今回のジジの母親の場合はケガだったけれど、パーキンソンの症状はかなり進んできている。まだその他にも心不全気味なジジの父親と脳出血で片麻痺になってしまったババの父親。3人とももう高齢者。この先、いつ外科的なものだけではなく内科的な病気などで緊急な手術が必要になったり、必要な医学が発達した現代でも治療による回復が困難な病気や状態になる時が来るかもしれない。
もし、そんな時
「ご家族はどこまでの医療を希望されますか?」
と聞かれたら、たぶん
「できるかぎりのことは全部やってください。」
と答えてしまいますよね。何よりも命の存続、生き続けることを望み、その後のことは考えるゆとりもないと思います。もしくは、家族を見捨てたと思われたくない気持ちが自然と働くのかもしれません。

現代の医療技術や延命技術は進んでいて、かなりな高齢者で回復の見込みもなく、寿命を迎えようとしていても、生かし続けることが可能な時代です。
胃に穴をあける胃ろうをでチューブから栄養を摂取させ、人工呼吸器をつけて酸素を送り込み生命を維持させることが出来ます。
でも、これって高齢者にとって生活の質の向上につながる治療なのかな。できるだけ長生きして貰いたい気持ちはあるけれど、チューブや機械につながれて、動けず、しゃべれず、食べれず、体力が衰えていく中での生命を維持させる高齢者の延命治療ってどこまで必要なんだろう。

ジジのつぶやき

そんな話をババとしていたら、ババはババの父親が脳出血で片麻痺になり、病院から回復期リハビリテーション病院に転院した際に、用意されていた【リビングウィル】の書類にサインしたそうです。
【リビングウィル】と言うのは、意思決定能力のあるうちに自分の末期医療の内容について希望を文書に記しておくこと。
もし、万が一、ババの父親に再度脳出血が起きてしまった場合、どこまでの治療を希望するか、父親と同席をして説明を受けた上でのサイン。もし、父親が意思表示できなくなっても、最後まで父親の意思を最大限尊重した治療を行なうための内容だったようです。

ババ自身もその時にはじめてリビングウィルと言う言葉を知り、「どんな状態でも生きてさえいればよい」という延命治療は拒否し、苦痛緩和だけしっかりして貰って最期を迎えたいと言う意識を改めて持ったそうであります。

ジジババはまだ高齢者とは言えない年だけれど、いつかやがて高齢者になる日も来るし、今現在ジジババは高齢者を3人抱えている状況で、高齢者の延命治療をするかどうかの選択は家族の問題。しっかりと話をしておかなければと思いました。

と同時に、健康でいることが一番大切で、いつまでも自立的な生活ができること必要だとつくづく思ったのでありました。
早く、ジジも足を治して老後に備えなくちゃ。

おしまい
最後まで、お読みいただきありがとうございました。

    
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