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今日は徳利で一杯、自作の器で食事の楽しさ倍増のジジです。

皆さん、こんばんわ。ジジババのジジです。
今日もお忙しいところをお立ち寄り頂きありがとうございます。

今日は自作の徳利で晩御飯

■月に一度の陶芸教室。今日は昨年作った作品が届き感激

今年は、新年早々ベトナムに行ったり、インフルエンザに掛かったりとドタバタしていたせいか、3月に入りようやく、当月教室の参加再開です。
地元の市の施設をお借りしている、自主講座なので、期末が3月とあって、丁度一年の締めくくりとして、皆で食事会も開催され、なんだか食べに参加しただけのようでした。それでも、ジジはうれしいかなと。
今回届いた作品は、上写真の徳利です。
大半はまだまだ、先生に助けてもらわないといけないけど、ジジの自慢の品が又増えました。
写真自体は、自宅で夕食の際に、以前これまたジジが作った、タタラに盛りつけをして、
徳利のお酒を横に沿えました。

■おちょこの類がないのは、ジジがサボっていた為

本来は、徳利にセットとして、おちょこがあるべきですが、此のところ、ジジがサボってしまったために、出来ていません。
そこで、本日の教室でしっかりとおちょこの作成を済ませましたところです。
実は、徳利は2個ありまして、それに合わせるように、おちょこも2個作っています。

■徳利が2個(2セット)の理由、それはですね

徳利やおちょこを何故2個(2セット)作っているかとと言うと、ジジとババはスポーツジムに通っていまして、そちらでの仲間に差し上げるためです。
やたらに、差し上げても、迷惑になるかも知れませんので、ジジババはスポーツジムに通い始めた、凡そ10年前からの仲間との食事会などで、差し上げています。

■陶芸教室での作品の楽しみ方のひとつ・・・みんなに感動してもらう事

以前、このブログでご紹介いたしましたが、所属しているスポーツジムを仕事の関係でやめてしまい、遠方に引っ越しをされたご夫婦がいらっしゃいました。
早速、仲間内で、そのご夫婦を囲んでお別れ会を開催。そうですねえ、30人位いたでしょうか。
その時に、何か、思い出としてとっておいてもらうものはないかと検討したところ、けっして、上手ではないけれど、手作り感が強い、ジジババ作品である、お茶碗をプレゼントしました。
さりげない、提案でしたが、そのご夫婦には大変喜んでもらえたり、形が機械作りではなくて、無骨なので、結構笑ったりしてくれ、場が和みました。

■相手に喜んでもらうことは自分に起きた良い事より、よっぽど感動しますね。

当時のやりとりを通じて、「動」がスポーツジム「静」が陶芸教室と位置付けていたジジババは新たな発見として、陶芸には人を感動させる力があると確信しました。
あまり、やりすぎるとかえってご迷惑かも知れないですから、注意は必要ですが、何かのイベントで、そういう記念品はありだろうと考えています。

■今回の徳利の行先・・・それは、旧来のジム仲間の内、酒好きのダンディな方へ

ジジババのどこにでもいそうな、老夫婦と違い、以前からダンディというか、かっちょいい男仲間がおりましてこれがまた、スポーツ万能みたいに、カヤックはするわ。ほかにもいろいろ。
数年前には、カヤックで指導を受けたこともあります。
今回は、その男仲間にプレゼントを計画しています。

■来月に入り、久々のジム仲間の飲み会

最近、飲み会をしていなかったので、寂しさのあまり、仲間に打ちあけたところ、快く少数ではありますが、召集をかけてくれました。
又、その飲み会の中で、その次の飲み会を計画しようということにまで、なっているらしいです。
久々の少数は7人。そして、その次の「新元号記念」らしい飲み会は30人前後だろうと思います。みんな好きですねえ。

今年度の作品目標

■陶芸教室の期末締め言葉・・・「命あっての、作品作り」

陶芸教室の締めとして、全メンバーによる今年度の豊富ならぬ、目標発表がありました。そのうちのおひとりが…「命あっての、作品作り」とお話しされ、さりげなくうなずきました。
話には、続きがありまして、ご年配の女性の為でしょうか、割と命にかかわるようなご病気を経験されているとの事。そうなると、一日一日を本当に大切に生きていかなくてはならないということ。そして、何かを残し続けたいということでこの陶芸教室に通われ、「あー、また、一つ作品が出来た。生きててよかった」となるそうです。

■妙に共感をするジジです。・・・確かに言われる通り。

ジジの場合、陶芸は4年目なので、まだまだ、土をこねる事がやっとのレベル。
土をただこねると言っても、手の感覚として、良しあしを理解するには、4年はかかるそうです。そのうえで、今度はろくろで8年との事。
どうもジジにはピンと来ませんが、とても奥が深いものです。
ジジの4年間の中で、土と悪戦苦闘していて、土は本来勝手に形が変化するものではありませんから、全ては作り手の責ですね。
へんな、こじつけと思われるかも知れませんが、ジジの場合、土ひねりは人つくりと同じと捉えています。
ジジの場合、以前は数百人。現在のリタイヤ前でも数人の部下を抱えていますが、本当に人つくりは難しいし、自分が言ったようにならない。けど、それは全て、自分の責だよと土ひねりは教えてくれます。
土は自分の手の力加減やセンスそして、意外に思われるかも知れませんが、時間のかけ方で全然結果が異なります。
人を土で例えるのかと叱られるかもしれませんが、土にもいろいろなものがあるし、作り手の能力と掛け合わせて、全て同じものはできません。
従って、土をこねたり、造形する時は、そういう意識で集中でしています。
なかなか、自分ひとりで作れないけど、それは未熟と言うことですね。
年は、とっても、人づくりも同じということが言えます。
期末の締め言葉で命の例えを仰られた、ご婦人も同じような感覚でこの陶芸を見たり、その魅力に惹かれているのかもしれませんね。だから、陶芸は奥が深くて、面白い。

■よき指導者、楽しい仲間に恵まれて・・・幸福感が満たされるジジババです

今日は、食事会と言うイベントなので、日ごろ面倒を見て下さっている、先生の更なる上にあたる、師匠にも同席を頂きました。
師匠の丁度隣に今回は座らせて頂き、割と和やかな中で、師匠の話しを聞く事が出来ました。幸運でした。

■ジジが師匠に相談→最近、手ろくろの回転速度を落としています。

ジジは土ひねりと言うか、造形の際に当初はグングン回していた、ろくろを最近ゆっくりとまるで余韻に浸るように回しています。
それは造形の力がまだまだたりていない事と、できれば、ゆっくりと自分の手指の感触をつかみながら、少しずつ形を整えたいからです。
師匠にその事を告げたところ、「それが基本だよ」と言われ、続けて、「ろくろがない時は絵葉書を台替わりにしてやっていた」との事でした。
どうやら、土ひねりは、グングンろくろを回して、作品を作るようなのものではなくて、一つ一つ(世界に同じものがない)を丁寧に作る事を意識したら、結論として、そうなるとの事でした。
ということは、少しずつジジなりに、陶芸の道に入りつつあるのかなと勝手に思いました。
まだまだ分からない事が多いけど、より一層、先生にご指導いただいたり、時には師匠の話しを聞いて、それらの基本とか、根源の所を聞きたいと思いました。

ジジの独り言

陶芸の道に4年前からはいってるけど、本当に考えさせられます。
ジムに行ってよくインストラクターの方から教わる言葉として、アウターとインナーの両方を鍛えたらよいと言われます。
アウターとは、所謂外観で、ボディビルがその代表です。
対するインナーとは体幹の事で、私たちは、見た目の強さやサイズではなく、静かに体幹を鍛えて、バランスを取らなくては、生活能力が落ちてしまいます。
陶芸はそのインナートレーニングに似ていて心のトレーニングをさせてくれるものと思います。うまく、造形できなくても、それは自発的な事。即ち自責であって、人のせいにできません。黙って、形になっている、器に対して、文句を言っても、何も返さないので、自身が反省する道に進みます。反省する事が成長としたら、やっぱり陶芸の力はすごいと思いました。
皆さんも、良かったら、一度、チャレンジしてみてください。新たな世界が見えるかもしれませんよ。

おしまい

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

    
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