スポンサーリンク

【法事と法要の違いについて】3連休初日、七回忌法要や施設支払いなどの準備の銀行まわりでくたくたのジジです。

みなさん、こんばんは。ジジです。
お読みいただきありがとうございます。

今日は3連休の初日。用件は早いうちに済ませておこうと、初日の予定をいっぱいにしていましたが、流石にクタクタのジジです。

朝一番に起きて、ババを連れてババの母と祖母の七回忌の法要の為に高速をぶっ飛ばしてババの実家のあるお寺へGO!
早めに出発したつもりでしたが、お寺の近くでは、なぜか電車が徐行運転で、遮断機が下りたままの状態で一向に上がるようすがなくアタフタ。
どのくらいで開くかなあと心配しておりましたところ、運よく開通し、
ちょっぴり遅れちゃいましたけど、お寺の和尚さん以外は、ジジババふたりだけしかいないので、和尚さんには丁重にお詫びをして、直ちに読経に入りました。

思えば、2011年3月 まだ東日本大震災の発生数日後の雪がちらつく日に、突然ジジのもとへババからババの母の訃報の知らせがきました。
ババの母は自分自身もペースメーカを入れていながら、舅、姑、そして親戚に祖母とずっと誰かしらの介護をし続けてきて、介護疲れのストレスもあってか喘息を患い、父親と介護生活のほんの息抜きで外出しようとしてバス停で突然倒れ、そのまま、帰らぬ人となってしまったとのこと。
何とも、人間てあっけないなあと思いながら、重要案件を抱えていた仕事や部下を後にして帰宅し、ババの実家へ向かった日のことを思い浮かべながらお経に耳を傾けていました。

何もわからないジジババ、その上、ジジババは長男長女なので、葬儀では一気に緊張と負担が増してんてこまいをし、葬儀後も残された父や祖母の件もあり、手続きもありで疲労困憊の日々がずいぶん続きました。
その1年後に祖母も突然の心不全で亡くなり、これまた何もできない父に替わっててんてこまいの疲労困憊の日々。

あれから七年・・・

法事と法要の違い

今日は、ババの母と祖母の7回忌の【法要】の日。
なぜに【法要】と書いたかと言うと【法事】と【法要】は同じ意味合いでよく使われていますが、正確には意味合いが違うそうなんですね。

法要

【法要】とは、住職にお経をあげてもらうこと。

法事

【法事】とは、【法要】を含むその後の食事の席など全体の行事のこと。

忌日法要(キビホウヨウ)

死後、最初に行われる法事初七日(ショナノカ)に続き、死後七日ごとに四十九日まで行う法要を忌日法要と言います。

初七日(ショナノカ)
二七日(フタナノカ)
三七日(ミナノカ)
四七日(ヨナノカ)
五七日(イツナノカまたはサンジュウゴニチ)
六七日(ムナノカ)
七七日(ナナナノカ)
四十九日(シジュウクニチ)

四十九日で「忌明け」

年忌法要(ネンキホウヨウ)

四十九日後の法要は、年忌法要へと続きます。
法要は、亡くなった日より後に行うのは良くないそうなので注意して日取りを決めるようにしなくちゃですね。

一周忌
三回忌
七回忌
十三回忌
十七回忌
二十三回忌
二十七回忌
三十三回忌
五十回忌

一周忌が済むと「喪明け」
三十三回忌か五十回忌をもって「弔い上げ(とむらいあげ)」


特に一周忌と三回忌は年忌法要の中でも最も大切な法事


一般的には、年忌法要の中でも特に一周忌と三回忌は最も大切な法事とされていて、親族や知人など多くの人に集まってもらい供養の儀式や会食が行われます。
でもって、一周忌と三回忌は必ず、ひとりの法要とし、七回忌以降は同じ年に法要が重なった場合はまとめてしてもいことになってるとのこと。
また、三回忌までは家族や親族や故人と縁の深かった方々を招いたりしますが、七回忌以降は段々と親族だけ、家族だけと次第に招く人を少数に絞っていく場合が多いいそうです。

なので、今回は母も祖母も七回忌と言うこともあり、高齢な親戚の方々や、そして小さな孫がいる息子たちやババ4姉妹のそれぞれの仕事の都合を考慮してジジババ夫婦だけで簡素に【法要】を行いました。

実はジジは、こうした法要のことは全く疎かったので、和尚さんへ次回はいつになりますかとたずねたところ、次回は13回忌なので、6年後と教えて貰ったのであります。
これまで、学習したこととしたら、葬儀本葬、初七日、四十九日、一年、三年、七年、十三年を知りました。
その後も十七年、二十三年、二十七年、三十三年、五十年とあるのか・・・。いやはや、お恥ずかしい限りです。

あっ、そうそうそう言えば、以前に五十年と言って、墓終いだったかなそれを行なったことを思い出しました。
正直言って、五十年は二代から三代前にさかのぼるので、故人のことはほぼ誰も分かりません。
分かるのは、遺影で見る顔だけ。
当時和尚さんから言われましたが、こうして、五十年を行えるのは、めったになくて、最近では墓守自体ができなくなっていることを聞き、肉親といえども、関わりがどんどん希薄になるんだなあと思いました。

少子化、核家族化がすすみ【家族葬】が増えてきていると聞きます。この先は【法事】も【法要】だけになる時代が来るのかな。

そんなことを考えながら、お寺で頂いた塔婆を設置して、それから墓の周囲を草取りやら掃除やらで、一汗。
継続は力なりとはよく言ったもので、ババの実家へはババの母が亡くなってから必ず毎月墓参りをしています。
数年前に東京に転勤していたこともありますが、それでも新幹線で帰省をして、自宅から自家用車で実家へ帰っていました。われながら、良く続いたものだと感心すると同時にやろうと思えばどうにかできるものだと確信しています。
そのあと、いつものように実家の仏壇へ手を合わせて、空き家になっている実家自体の点検をして帰途。
今日は、三連休のせいでしょうか、行楽客で結構道が混雑していました。

昼ごはんは疲れていて、なかなか食べる気力もなかったのですが、次のミッションに向けて、お饅頭の残りやタコ焼きをチンして、パクパク。
まだまだ今日のジジの予定は昼からも続きます・・・

ここからちょっとだけジジのつぶやきを・・・

2011年は我が家にとっても、大変な一年で、ずいぶんと厳しいことがありました。
我が家では、当時を「〇〇家の乱」と呼んでいます。

会社でも、震災の影響が日増しに拡大。当時責任者だったジジとしては、まあ誰も経験したことがないような未憎悪の状態ではありましたが、ジジも何から手を付ければいいのか何をどうすればよいやら、心底困り果てました。

それらに追い打ちをかけるように、色々な問題がジジを中心に上がったり(ジジの能力と徳が不足だろうけど)
それからジジの母親がパーキンソンで手術
ババの父親が今度は入院と
色々な事を一年で凝縮し経験し勉強させられました。

いまだにジジには当時の精神的なトラウマ、後遺症は残っているけど、それでも日が経つのは早いし、人間の立ち直りはすごいもので、徐々にですが、その反動ともいうべきでしょうか幸せに向かっています。

父たちが安心して生活できれば

今月は年金支給の月ではありませんが、帰宅した時にポストを見たら、まるでハンコでついたように予定通りの施設から請求書が届いていました。
かれこれ、6年くらい支払い手続きをしていますので、その金額には驚くこともなくなりました。

ひとまず、各者(ババの父親、ジジの父親、および母親)の通帳残高と請求書金額のにらめっこ。
口座移動額を集計して、3つくらいの金融機関をはしご。
最後に、ケアハウスにてエンジョイ生活を送っているジジの父親にお小遣いを渡しに施設に移動。
時間も夕食と重なったら、会えないので、大急ぎ。
施設についたら、施設のスタッフに挨拶やら、手続きをして、当人の部屋へ大急ぎで行ったら、父は一人掛けのソファーでくつろぎながら、お菓子をぽりぽり・・・(笑)
『たべすぎんようにな』と一言声をかけときましたが聞いているのかいないのか毎回馬の耳に念仏状態です。
ボケているわけではなく、口寂しいんだそう。困ったもんだ。

その父から施設やヘルパーサービスなどの領収書受取り、
これを自宅へ持ち帰り、日付け順にファイリングするので大変。
年寄にしてみれば、お構いなしなんだけど、結構、これって、役所手続き等で重要なんですよね。
まあ、施設で父親たちが、安心して暮らすには仕方がないかなとジジは頑張っています。

そんなこんな今日の予定が全部終わったのが、五時。
今日は久しぶりに屋外のやりとりも多かったせいか、疲れたびー。
早速入浴をしてくつろぎました。

毎日がこういう状態ではありませんが、なかなか大変です。それから、このところ、各親の年金も減額傾向となり、支給外月のやりくりは大変・・・
正直、持ち出しもあります。
けれども、みんないつかは・・・
なので、親たちが安心して余生を暮らしていければそれでよいと考えながら対処しています。
ジジババがあちらの世界に行く頃はどんな時代なのか見当もつきませんが、最後まで、アクティブなジジと能天気でいつもソファーでゴロゴロしているババが、お互い共、寝ているうちにそーっと終われたらいいなあと思います。
病気で、つらいのは、我慢できないジジなので、せいぜい養生してがんばろと思います。

おしまい

    
スポンサーリンク
スポンサーリンク
レクタングル(大)336280
レクタングル(大)336280

フォローする